もう30年前のことを思い出しました。
2024年(令和6年)10月6日、長女が新田高校女子硬式野球部の練習体験会に参加しているとき、故・一色俊作監督さんの記念碑を見つけて、もう30年前になる一件を思い出しました。
※一色さんの経歴はこちらをクリックしてご覧ください。
1年の秋だったかな?
時期は、はっきり覚えておりません。
旧宇和球場で公式戦のボールボーイなどをしていたときに、本部席にいる一色監督さん(当時は帝京第五の監督)に呼ばれました。
他校の監督さんに呼ばれることなんて、滅多にないこと。
何かヤバいことをしたかなと思いつつ、本部席に行きました。
一色さんからかけられた言葉は・・・
うち(帝京第五)はキャッチャーが弱いから、うちに転校してこい、甲子園に連れて行ってやる。 大学は明治でいいか?
どういう返答をしたか、まったく覚えてません。
明治なら学力でいけると思ったことだけは覚えてます(笑)
当時の帝京第五のキャッチャーは福本だったっけ???
月日が流れて、私が高3の夏。
3回戦で帝京第五にコールド負け。
※詳しくはこちらのブログをご覧ください。
私の「高校最後の夏」は22年前、第78回大会でした。
帝京第五はエース・矢野(この年のドラフトで日本ハムから1位指名)を中心に決勝まで進みましたが、決勝で松山商に敗れております。
その松山商は、奇跡のバックホームで全国制覇。
リップサービスとはいえ、名監督さんからこんな言葉をかけられたことは、光栄なことだったなぁ~と思い出しました。
もうひとつ、一色さんのエピソードを。
当時、練習試合を1試合やれば、ある程度は相手の監督さんのサインを解析できて作戦を読むことができていました。
しかし、一色さんのサインだけは、まったくわからず。
作戦も読めない。
甲子園で勝ち上がるためには、複雑なサインを出していたんだろうなと思いました。
和氣 宗一郎
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