長女、尽誠学園高校女子硬式野球部に進学します。
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2025年(令和7年)1月30日(木)、長女(宇和中野球部&マドンナジュニア愛媛2024・3年生)が尽誠学園高校に合格しました。
ちょうど、長女の誕生日と重なり、2倍以上嬉しい日になりました。
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野球推薦(特A)
この条件は、長女自身が実力で勝ち取っております。
愛媛県内で女子硬式野球部があるのは新田のみ。
私自身もかなり悩みましたが、親としてできる限りの情報を集め、長女に伝え、長女本人が決断しました。
2025(令和7)年度から尽誠学園高校に女子硬式野球部が発足するので、1期生になります。
尽誠学園高校女子硬式野球部の歴史というページは真っ白。
その真っ白なページに長女の名前が刻まれていくことを切に願っております。
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これまで順調に成長してくれましたが、生まれる直前や生まれた瞬間は、かなり大変でした。
あの日、私が救急車を呼ぶことに躊躇していたら、長女の成長をみることはできなかったかもしれません。
西予市消防署の救急車に救われた命といっても過言ではありません。
西予市消防署の職員さん、ありがとうございました!
おかげさまで、高校生になれそうです。
【長女の誕生】
平成22年1月30日未明。
軽い陣痛が始まったので産婦人科へ出発準備を開始。
準備ができて玄関で靴を履こうした妻が「歩けない」と・・・
出発直前に強い陣痛が来たようです。
かかりつけの産婦人科までは車まで30分かかるのに、妻はすぐにも生まれそうだと必死の訴え。玄関から車までの距離は約10m。たった10mなのですが、その間には階段もあり。
「今にも生まれそう」な妊婦(妻)を車に乗せることすらできない状態。
乗せることができたとしても産婦人科までの30分でどんな状態になるか見当もつかない・・・
雪の心配もあり事前に相談していた西予消防署に緊急連絡。
救急車で産婦人科まで運んでもらいました。
車内でかなり「下りてきている」状態になったので、救急車から産婦人科へすぐに分娩室に入れるように緊急連絡。産婦人科に着いて分娩室へ直行。(お医者さんが分娩室に来た時に「まだ我慢して出さないで」って言われました。)
そんなこんなで、ようやくお腹から出てきた長女なのですが、産声をあげないんです。助産師さんがいろいろと処置をしてくれますが、それでも産声は聞こえず。その間、妻の私の手を握る力がどんどん強くなっていきます。
最終的には逆さにして背中を叩くとか細い産声が聞こえました。
1分半程度の時間だったと思うのですが、もっと短かったかもしれません。とにかく、とてつもなく長く感じました。
母子ともに状態が落ち着いたので自宅に帰ろうとしたときに、助産師さんから「救急搬送されていなかったら、お子さん(クレラップちゃん)の命は危なかったんですよ。お母さん(妻)も偉かった。ここ(産婦人科)に着くまでかなり我慢していたと思います。(長女が)泣かなかったのは産道に長い時間いたのでかなり体力を消耗していたからです。」と言われました。
出産で救急車を利用するのは気が引けていたのですが、救急車のおかげでクレラップちゃんは無事に生まれ、元気に育ってます。
以前にも書いた通り・・・
中学1年生時は、担任の先生にまで「絶対に高校では野球をやめる。陸上をする。」とまで言っていたそうですが、マドンナジュニア愛媛に参加して考えが180度変わったようです。
愛媛県中学軟式野球部に所属する女子選手と保護者さんへ
女子野球を続けたいと言ってきた時点で、家を出て寮生活になることはわかっていましたが、これで寮生活が確定しました。
寂しくなりますが、いずれは家を出ることは一般的には常識的なこと。
ちょっと早いですが、いずれは子離れしないといけないなので・・・
The following two tabs change content below.愛媛県西予市宇和町生まれ。
硬式少年野球ボーイズリーグ「宇和フラワー」(現 宇和ボーイズ)、宇和中学校軟式野球部、宇和高校野球部と12年間野球三昧。
1年間の大学浪人生活を経て、関西学院大学に入学。卒業後は大手都市銀行に就職するが母の病気を機に1年半で退職し、平成16(2003)年に実家である株式会社道後屋ワケスポーツを継ぐ。
最も得意なスポーツはやっぱり野球。特にグラブ修理・スパイク修理に関しては自信があります!本業のかたわら母校の指導を行っていた時期もありました。
また、「スポーツを通じて、明るい活気のある人づくり・地域づくりに貢献する」をモットーに「四国西予ジオパーク」の活動や西予市商工会青年部の活動にも力を入れています。
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